[提案] 一斉自主停電で意思表示

ブレーカーで国民投票を!

2012年4月20日 三浦 (kmiura)

はじめに

日本に暮らす多くの人々の意見がまる存在しないかのように、日本政府と東京電力は以前と同じような電力政策を継続しようとしています。2011年3月11日を境にこれまでのありかたを反省し、よりより未来を選択して希望の持てる社会を作っていかなければならないと私は考えますが、どうやら政府や電力会社はまるで何事もなかったかのように3月11日以前の状態に復旧したい、と考えているようです。

さまざまなメディア・調査機関がおこなっているアンケートをみると、圧倒的多数の人々が脱原発を支持しています。日本の電力政策のありかたは根本的にかわらなければならない、と私以外にも多くの人が考えているらしい。しかしながらその多数の思いとは関係なく、例えば大飯原発の再稼働は人々の抗議や専門家の意見を参照することもなく2日間で政治的に決定され、地元との交渉段階にはいってしまっている。再稼働を既成事実としたいのでしょう。

この一年間、原発に関する国民投票を実現する動きや、官邸や省庁、電力会社の周辺での抗議デモなどが行われ、ネットワーク上ではさまざまな抗議や反対の意見が表明されています。しかし政策決定者たちとその周辺はまるで聞く耳をもたないかのように振舞っています。われわれひとりひとりの、「私の意見を聞け!」という声を彼らに届かせるにはどうしたらよいのでしょうか。即効性があり、彼らが肌身で感じることのできる、直裁で物理的な一般意志の表明が必要なのでしょう。

そこで一斉自主停電です。一部の政治家は「原発を止めたら停電する」とか「原発を止めるのは日本の自殺行為だ」といいます。電力会社もそれにあぐらをかいて、原発事故のまさに当事者でありながら、国策だ、我々の責任ではないとばかりにふるまっている。こうした夜郎自大な態度や恫喝を逆手にとって、自分たちで停電を実現し、異議あり、という姿勢を表明するというのがこの活動の意図です。

どうやって?

実際に眼に見えるほどの社会的な停電になるには多くの人が一致して協力し、同時に自分の生活環境の停電を行うことが必要です。一番簡単なのは、あらかじめ予定した曜日と時刻に、数分から30分程度ブレーカーを落とす、ということです(後述の理由で夜がいいと思います)。家庭内には電気ポットからオーディオやテレビの待機電力までさまざまなかたちで小規模の電力が消費されています。こうしたものも含めて一斉に停電させる。もちろん、停電させてはいけない機器が家庭にある人もいるでしょうから、その場合には家中の電気のスイッチを消すなどで、この意思表明に参加することができます。こうして、一斉停電を毎週同じ時刻に行うことを基本とします。電力政策に関わる重要な政治決定があるときには臨時でその決定時間にあわせて一斉停電を行う。

一斉停電を可視化するにはどうすればよいでしょうか。次のような3つのステップを踏んでいくことになります。

  • ステップ1 最初にこの活動に加わる人々は少ないでしょう。ウェブ上に「停電した」という表明を記録できるようなサイトを作って、一斉停電があったことがわかるようにする。同時にツイッターなどで「これから停電」「復帰」という投稿をタグとサイトのURL付きで行い、活動に参加していることが多くの人に知られるようにする。

  • ステップ2 より広くこの活動が広まれば、 一斉停電が実現していることが、マンションの高層階からデジタルカメラやカムコーダーで夜の街を記録してわかるほどになるでしょう。

  • ステップ3 さらに多くの人々がこの活動を知り活動が広まれば、消費電力の一斉低下は、東京電力のリアルタイム表示などに反映されるはずです。

  • 参考:本日の電力使用状況グラフ リンク

ここまでくると、一斉停電を自主的な国民投票と位置づけることができます。ひとりあたりの電力消費量はさまざまなので「一人一票」という厳密なことにはなりませんが、一斉停電のさいの消費電力の低下分を「日本に住む人々が現行の電力政策に異議を表明している」として、政策決定・行政にかかわる人々に圧倒的な事実として示すことができます。

利点と欠点

多く人が参加し実行しないと政治・電力会社に対する社会的な圧力としては実現しない、という点がただひとつの、しかし大きな欠点です。

あらたな意思表明手段とともに副産物としての利点は、停電に慣れることで、電力をめぐる恫喝 [注1] を鼻で笑うことができるようになる、災害時の停電に対応しやすくなる、といういくつかの点があるでしょう。


注1 "電力をめぐる恫喝": 病人、老人、乳児、子供のいる家庭、電力を必要とする中小企業といった弱者が電力会社を中心とする生命を左右するような恫喝のターゲットになっている。現代社会において電力はかつての米騒動の時の米、フランス革命のときのパンと同じように生活必需品であり、生活権をまもるための社会福祉の対象であると考えられます。したがって上にのべたような弱者への電力供給は、バッテリー、発電機などのローカルなフェールセイフ(停電に対応できるシステム)の構築を社会的にサポートすべきでしょう。

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